【履歴のようなもの】
かつて、(株)学習研究社の映像局というところで、プロとしての写真技術を教わっていたと聞く。その後、前後の見境なく、勝手に映像局を飛び出したため、初年度の収入は80万円くらいしかなかったそうな。当然、先行きの不安はつのっていたようだけれど、持ち前の呑気さが災いして、いや、幸いして、独立後2年目以降になると、なんとか生きのびることができるくらいの収入は確保できたらしい。そうでなければ、今があろうはずはない。
しかし、独立後はどうもフラフラした人生だったようだ。というのは、もともと、いろいろなことに興味をひかれ顔を突っ込むせいか、写真だけに没頭していたわけではないからである。編集の仕事をしてみたり、印刷の勉強をしてみたり、フラフラしているのは本来の性格かもしれない。そうはいっても、個展は何回か開いたし、出版も「撮影:藤城一朗」で2冊ほどあるし、写真の世界にはネチッコク絡みついている。これは、きっと納豆パワーのせいだ。
そんな、あっちへいったりこっちへ来たりの人生だったけれど、興味の対象が広かったことで、早くからパソコンの知識を得たのは唯一、フラフラ人生が残してくれた財産である。こと、デジタルフォトに関しては1990年代から試行錯誤をしていたし、それが、たまたま現在のニーズに合致して、とくにソフトウエアに関するレクチャーの依頼が増えてきているという。
まあ、結局、写真表現よりデジタルの知識が先行したという結果なのだろうけど、やっぱり、自称写真家というなら写真で表現しないとイケナイのだ。職業=写真家なんていっている以上、それは当然のことである。それでも、写真にこだわった仕事が続けられている、ということは才能なのか運なのか、実力なのか偶然なのか、ん〜、何だか悩み多きこの頃だ・・・、なんてネ! (*⌒∇⌒*)テヘ♪ |